『学び合い』とは・・・

FUTURE

『学び合い』は私たち教職員から

COTECHI
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こんにちは・・COTECHI です。

学校は、 保護者をはじめ様々な関係者から、 様々なことを求められて、大変です。働き方改革が進められていますが、その中で、みんなが話し合って、よりよい子供たちの学びをみんなでつくっていくことは、なかなか難しいですね。

P-MASTER
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今の学校は、 保護者をはじめ様々な関係者から、 様々なことを求められています。ところが教師の仕事の複雑化の上に働き方改革による制限が求められ、さらに、教員の不足や若年化により、教育技術を高める余裕がないのが現状です。そのため、二百人に一人の教師が心の病で休職しているといいます。さらに、現在の感染症予防対策等により、より多忙化し、新しい対応が日々望まれます。

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学校が抱えている様々な問題を一気に解決する道があるとしたら、それは学校がチームになることです。

COTECHI
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ではどうしたら良いでしょうか。

つなぎ、つながり、学び合う教室のある学校づくりを進めるには・・

研究推進や会議を増やして、より研修をするというお考えの方もいらっしゃるでしょうが、私はそうは思いません。「やらされる研修」だけでは、力になりにくく形に留まることが多いという自分自身の経験からです。

『つなぎ、つながり、学び合う教室のある学校づくり』を進め、『学習を「個人の営み」だけではなく、「集団の営み」として捉え直す教育の再出発』を掲げて発進したのは、私たち教職員、大人自信が、子供たちの前に立つとき、その教師自身が自ら学び、求め、職員同士で学び合うことで現状の課題(人間関係づくり等)を改善することを進めたいからです。

それは、できるだけ会議時間を減らしながら、共通理解・共通行動を行うとともに、子供たちの『学び合い』を進めるために、チーム学校の教職員の主体的な『学び合い』を進めることです。

『学び合い』は、若い教師をはじめ誰にもでき、多忙である教員にこそ、そして、何よりも、全ての子供たちのために、「一人も見捨てない」教育の提供です。

以下、西川純先生の『学び合い』をする目的の基礎基本を一読下さり、『学び合い』を難しく捉えないで、すぐにでもできるところから始めて欲しいと思います。

そして、その良さや課題をチーム学校で日々の話題となっていくことを切望しています。

私は、早く始めたもの勝ちだと思います。子供たちの幸せにも、先生たちの 幸せにも・・・ 。

『学び合い』をする目的の基礎基本

『学び合い』は、対話的な学びの観点から、現在の教育現場で注目されている学習の方法です。

『学び合い』に対する誤解の典型的なものに、 まず一斉指導の授業能力、教材能力を獲得してからじゃないと『学び合い』は出来ないという誤解があります。

元気いっぱいの子供に、「座りなさい、静かにしなさい」と求めるのと、「相談しても良いよ、 立ち歩いても良いよ、でも、一人も見捨てては駄目だよ」 と求めるのとどちらが簡単でしょうか?

明らかに後者です。

もし、 子供たちに 「座りなさい。静かにしなさい。」 と求める教師だったら、 「相談しても良いよ、立ち歩いても良いよ、でも、一人も見捨てては駄目だよ」と求めるのはとても簡単なのです。

本当は、一斉指導できちんと教えることのほうがてつもない力量、教師の指導力が必要なのです。

クラスの中には、学力的に様々な子がいます。

これらの様々な子供たちみんなに分からせ、興味を持たせられる説明が出来なければならないのです。

そのための教材の力量が必要だとして、 どれほどのことを覚えなければならないのでしょうか?

例えば、 小学校一年から六年の全教科の教材に詳しくなければならないとしたら何十年かかるでしょうか?

それは中学校や高校も同じです。

物理や化学に対して、生物や地学は別な学問と言って良いでしょう。

いや、物理だって理論物理学と実験物理学は別物です。

それらの全てを学ばなければならないとしたら、何十年必要なのでしょうか?  

話術もそうです。日本には億を稼家ぐタレントがいます。

その中で、日本中の人から支持されるタレントが誰かいるでしょうか?

好かれる一方、 蛇蝎(だかつ:へびとさそり。人が非常に忌み嫌うもののたとえ)のように嫌う人もいるのが普通です。

では、どのようにしたら全ての子供から支持される教師になれますか?

また、別の典型的な誤解に、『学び合い』は教師と子供との縦軸(上下関係)が成立してから出来るものだと言われます。

「一人も見捨てては駄目だよ」の『学び合い』を全学級で!全職員で学び合う教職員に!

たしかに、『学び合い』では、子供たちが自由に立ち歩きます。

その中で規律を維持するには、 しっかりした縦軸(学習規律)が必要であるとお考えになるのは当然です。

『学び合い』においても縦軸は大事です。しかし、どのようにしたらその縦軸を獲得できるのでしょうか?

先に述べたように、 教材や話術によってそれが出来るとしたら、何十年かかるでしょうか?

第一、 いわゆる教師ドラマに出てくるような教師、研究会で講師を務めるカリスマ教師のようなオーラを全ての教師が獲得出来ると思いますか?

私は無理だと思います。

仲間からの「いっしょにやろうよ」 の一言が最も強力

では、 どうしたらいいのでしょうか?

『学び合い』では、 「一人も見捨てない」 というただ一つの基本方針をぶらさずに子供に求め続けることが、 誰でも出来る縦軸づくりの道だと思っています。

もし、子供たちの中に 「一人も見捨てない」 ということが根付けば、三十人の子供は三十人の教師になります。

もちろん、教師並みに教えられる子はいませんが、 それでも個に応じた対話を積み上げることが出来ます。

また、 人にとって最も楽しいエンターテインメントは人との会話です。

そのため、学習を継続することが出来ます。どんな学習法も当人がその気にならなければ無効です。

では、現在、その気になっていない子供をその気にさせるには、 どうしたらいいでしょうか?

『学び合い』では、仲間からの「いっしょにやろうよ」 の一言が最も強力だと考えています。

縦軸の弱い教師の語りに耳を傾ける子供は多くはいないかもしれません。

しかし、『学び合い』によって今までより分かりやすくなり楽しくなれば、その教師の語りに耳を傾ける子供は増えます。それによって、「縦軸」 を生み出すのです。

とはいえ、いきなり全面的に『学び合い』を取り入れるのは、躊躇するのも当然です。

そこで、私が提案するのは週に一時間だけの『学び合い』の時間です。

もし、中学校、高校の先生で、週に2時間程度しか授業が担当出来ないならば、2週間に1時間、1ヶ月に1時間でも結構です。

それだけでもクラスの人間関係は改善します。

教科授業の中で・・

「教科の授業で人間関係の改善?」 と思われるのではないでしょうか?

今まで、人間関係の改善をするならば、 運動会・体育祭・修学旅行などのイベントやホームルームや道徳や特別活動でやっていたのではないでしょうか?

しかし、運動会でクラス作りをした人ならばお分かりだと思います。

運動会では盛り上がりますが、運動会が終われば、速やかに元の木阿弥になります。

人間関係作りは、イベントではなく、定常的に続ける必要があります。

では、なぜホームルームや道徳や特別活動ではなく、教科学習なのでしょうか?

理由は、二つあります。

第一は、 人間関係の出来ていない者同士が繋がるきっかけは、事務的なことからなのです。

例えば、 皆さんが教育センターの研修会で見知らぬ人とグループを組んだとします。

その際、「お互いの悩みを打ち明けて下さい」 とか「楽しいゲームをしましょう」と言われて素直に出来るでしょうか?

おそらく無理だと思います。

むしろ、 「お互いの学校での不登校の指導の問題点で共通する部分と違う部分をまとめて下さい」 の方が自然に関われると思います。

だから、ホームルームや道徳や特別活動より教科学習の方が自然に出来るのです。

第二は、 人間関係が出来たか出来ないかがハッキリ分かるからです。

仲良く出来た「ふり」は、いくらでも出来ます。しかし、テストをやれば、「分かったふり」は分かります。

そのクラスのテストの点数分布で、そのクラスの人間関係を評価しやすいのです。

だから、 教科学習で人間関係作りをする『学び合い』 は、有効なのです。

週に1度でも、 いや、 1ヶ月に1度でも、「一人も見捨ててはいけない」と子供に求め、それを評価することが出来たならば、それをやらないよりは、遥かに望ましい人間関係が生まれるのは、自明だと思います。

T-MASTER
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まずは、 そこから、というのが私の提案です。

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