教育のプロである教師が子育てをすれば、子どもは「いい子」になると思われますか。
「いい子」とは何かという疑問もありますが・・・。
教師目線で言うと、「将来に社会的自立ができる子」だろう。
保護者と教師は、子どもを育てる上で大きな責任を持っています。
そして、学校現場では、保護者と連携して子育てをすることが重要視されています。
教師は、教育のプロとして評価されていますが、教師が親になった場合には、教師としての役割と親としての役割と・・・難しい課題を背負ってしまいます。
『教師はいい親になれる』という問いよりも、どれだけ我が子もわが生徒も愛おしい存在として、自分の中に迎え入れることができる『自分の人としての器』があるかな・・・と『自分の背中』を魅せられるかな・・・という問いに帰結していくのだと感じます。
衝撃的な板書を見せてください 学校の先生の板書で衝撃的だったものは
元Facebook社員によって立ち上げられたナレッジコミュニティ・Q&AサイトQuora(クオーラ)でみかけた一投稿の画像です。
たかが板書ですが、そこには、教師としての背中だけでなく、人としての先輩の背中を感じます。
受け取り方は、様々でしょ・・・
みなさんは、何を・・どう感じます・・
因みに、この投稿者は、「不治の病に冒された先生が、最後の卒業生に残した板書。泣けます。」と一分を添えているだけなのですが、どんな先生だったのか大変気になりました。
この投稿に対するコメントには・・・
はい、涙しました。私が高校三年のころ、世界史担当の教師がそういう方でした。癌で余命の授業は教科書なんかナシ。ずっと片肘を机について、現状世界の動向について論説されていました。「世界は君たちがおもっているよりも広い」「新聞に書かれてあることなど信じる必要はナイ」が遺されたコトバです。
最後の「。」の力強さが情念を感じますね。
泣いた(ノД`)・゜・。
先生がおいくつか分かりませんが、40代半ばとかだと、さらに重みが増しますね。50代になりなさい。幸せになりなさい。私を超えなさいなど、複数の意味が思い浮かびます。
写真に込められた先輩としての教師の深い愛
たった1枚の板書の写真。
でも・・この中に、長い教師としての生き様や先輩として生きてきた人としての生きざまを感じさせてくれる写真でもありますね。
そんな背中を見せてくれる教師、病を患っているからではなく、人を愛しているからこその言葉です。
みなさんは、どのようにお感じですか?
<留意事項>
※本投稿は、ナレッジコミュニティ・Q&AサイトQuoraの投稿を部分的に転載しています。
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