不可能の反対は可能ではない。挑戦だ!
こんにちは、COTECHIです。
東京オリンピックが始まり、毎日とってもワクワクしてみています。
私は、団体競技が大好きなので、野球やソフトボール、バスケットボールをとっても楽しんでいます。
その中でも、「侍ジャパン」の野球が目が離せません。ドキドキしながら応援していますよ。
野球「侍ジャパン」が悲願の金メダル・・稲葉監督は
東京オリンピックの第16日目の8月7日、野球の決勝において、日本代表「侍ジャパン」が米国に2―0で勝って優勝した。
正式競技で日本が金メダルを獲得したのは初めて。
東京五輪では、3大会ぶりに復活した野球。
監督をされた稲葉篤紀監督は、北京五輪に選手として参加して4位という悔しさを味わっています。
「悔しさを忘れたことはない」と話す稲葉監督。監督として、金メダルを獲得しリベンジを果たそうとしていました。
稲葉監督は、就任以来、チームにルールをもうけています。
① グラウンドでのつば吐き禁止
② ベンチでもユニフォーム・帽子の着用
子ども達の模範でありたい。そして、チームとしての一体感を大切に稲葉イズムを伝えていきたいと意気込んだそうです。
不可能の反対は可能ではない。挑戦だ!
稲葉監督が一番影響を受けたというのは当時ヤクルトの野村克也監督の「メモをしなさい」という教えです。
その稲葉監督の現役時代の「稲葉ノート」の1ページ目には、黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの「不可能の反対は可能ではない。挑戦だ」という言葉が記されています。
夢の本質は、誰かの幸せを実現していくこと
夢の実現など不可能に思えることを実現していくには、チャレンジし続けるしかありません。
心が思い描けた夢は、実現の可能性があるからこそ思い描けるもので、その可能性なしには、心に浮かんでくることはないでしょう。
未だ実現できていないことは、実現するまでは、不安がよぎるものですが、この不安を超える実現への思いを持ち続けることにもチャレンジしていく必要があります。
思い描けたものは、必ず実現の方法があって不可能なことはないので、不可能、可能と考える思考があるだけで、全ては可能と言えるでしょう。
ただ夢と現実のギャップを埋めていくには、ただ待っているだけでは何も進んでいかないように、そこには埋めていくチャレンジだけが必要なのでしょう。
不可能、可能という思考が出てくるのも、手段や過程を夢として目指すものにして、その実現を難しいものにしてきているところに原因があるでしょう。
また、夢の実現へのチャレンジをし続けることを苦痛なものにしているのも、目指す夢の本質を間違えているところにあります。
夢の本質は、誰かの幸せを実現していくことです。
それをどんな才能、手段を使って実現していくかがチャレンジです。
本来、目指すべき夢は、心、思感では的確に捉えているはずなのですが、それを思考で歪めたり、打算にまみれた手段などを思考で目指そうとしてしまうところに、現代の人の悲劇があると思います。
争い、心身の病がなくなっていかないのも、本来の夢を目指すことを忘れて、本来の意味のチャレンジができなくなっていることがその大きな要因のひとつでもあるでしょう。
夢へのチャレンジや過程で、不自然なストレスを感じることも上手く行っていないひとつです。
それに気づけるかどうかです。タイムリミットや状況で、目指せなくなるような夢はまず間違いなく不自然な夢です。夢もチャレンジも自然。
常に自然を感じて、日々のチャレンジを歓びと愛だけに満ちたものにしていってください。
ジャッキー・ロビンソン の名言
ジャッキー・ロビンソンは黒人初のメジャーリーグベースボール(以下:MLB)選手です。
内野手でした。
ジャッキー・ロビンソンの活躍があって、日本人を含む有色人種たちが、MLBへ挑戦し、活躍することができる道が拓かれたわけですから、ロビンソン選手の歴史的偉業は、日本のMLBファンや野球ファンにもっと知られていいように思います。
初の黒人選手に対するいやがらせは、大変しつこく、悪用で対戦拒否をする球団もあったそうです。
しかし、彼の類稀な能力を見抜いたブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキーは、「能力のある選手なら肌の色に関係なく起用する」と公言し、世間の差別に惑わされることはありませんでした。
選手として、人としての人柄にも優れた紳士ロビンソンは、次第に、チームメイトたちにも、観客にも受け容れられていくようになります。
彼がデビューした1947年当時というのは、人種隔離法の下、レストランやバスの座席などは、白人と黒人が相席することは、決して許されませんでした。
ですから、MLBで成功を収めるまで、 ジャッキー・ロビンソンには、想像を絶するような苦労・苦難があったに違いありません。
彼のデビューから半世紀を経た1997年、 ジャッキー・ロビンソンの背番号42番は、全球団で永久欠番になりました。
さらに、2004年には、彼がMLBデビューした4月15日が「ジャッキー・ロビンソン・デー」と定められ、全選手が背番号42番のユニフォームを着用してプレーすることになったのです。
アメリカ大リーグ史上、数ある多くの名選手の中でも、ジャッキー・ロビンソン選手が、いかに特別な人だったということが分かります。
The difference between the impossible and the possible lies in a man's determination.
「不可能の反対は可能ではない、挑戦だ」とは、なかなか意味深な言葉です。
ところが、原文はかなり意味内容、そのニュアンスが違います。
直訳すれば、「不可能と可能の違いは、本人の決意次第である!」といった意味になるのではないでしょうか。
私が考えるには、ロビンソン選手は、多くの人にとっては、とても不可能に思えるような挑戦であっても、本人の心の持ちようで、あるいは、本人の志次第で、思わぬ結果をもたらすこともあると云いたかったのだと思います。