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子どもと教師との綱引きが起こる『学び合い』の始まり
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COTECHI
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新学期が始まり、4月から新しい学級で『学び合い』を始めるにあたり、『学び合い』に初めて取り組む教師、『学び合い』を始めだした学級で、教師が絶対にやるべき事は、まず何でしょうか。

P-MASTER
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そうだね、『学び合い』の授業のことがわかっても、実際始めてみると難しいことがいくつも出てきます。

『学び合い』の授業を確かに確立していくために、「絶対に見逃してはいけない子どもの姿」と言うものをみんなで共通に理解して、早く『学び合い』の授業を軌道に乗せていくことが大切です。

授業の中で子どもと教師の綱引きが必ず起こる

(出典:https://unsplash.com/)

4月から、新しく担任した教室で『学び合い』を始めるにあたり、まず、教師が注意をしていくこと、やるべき事は、順番に並べてみると下の通りではないでしょうか。

☑ 授業の「始めの語り」(『学び合い』の理念)をきちんと行う。

☑ 子どもたちが課題解決に向かう「よい姿」をしっかりと褒める。

☑ 『学び合い』をするのにふさわしい適切な課題を提示する。

まずは、これらのことができていれば、とんとん拍子にうまくいっているように見えます。

しかし、教師は、ここで安心してはいけません。

この時期が本当は、教師が見落としやすい、見過ごしやすい「落とし穴」がたくさん存在します。

そして、子どもたちが『学び合い』を始めたこの時期からが、『学び合い』の本当の勝負だからです。

『学び合い』授業をしていた子どもが「学び合いは楽しいけれど、とっても疲れる。」とつぶやくのを聞いたことがありませんか。実は、『学び合い』は、ある意味、子どもたちにとっては、とっても「大変な授業」なのです。

まさに、その通りだと思います。

それだけに、教師も子どもたちも楽な方に、ついつい流れていってしまいがちになります。

『学び合い』を続け、より発展させていくのであれば、4月後半から5月にかけての時期は、とりわけ気の抜けない時期であり、気を張って『学び合い』を発展させていく意気込みが必要な時期だといえます。

『学び合い』に教師のあなたも子どもたちも慣れ始めたこの時に、学級の『学び合い』の授業の停滞を防ぎ、より発展させるために、子どもたちの良い姿、感心できない姿など、教師が見逃さないようにしたい姿があります。それが次の3つです。

▲ 学級の中に、「こんなこともわからないの?」と言っている子供がいる。

〇 「教えて・・」と言えている子供がいる。

▲ 答えをそのまま見せる子供や、丸写しをする子供がいる。

これらのことを考えてみましょう。

「こんなこともわからないの?」と言っている・・・


(出典 tietheknot.style)

教師がこの言葉を耳にしたら、絶対にそのまま聞き流してはいけません。

とても重要なことなのです!それほど聞き流せない「悪い言葉」なのです。

この言葉は、明らかに教えようとしている相手を見下した言葉だからです。発した子どもは、相手の子どもを馬鹿にしているのです。

これを見逃してしまうと、教師が学級の中に序列があることを認めたことになってしまいます。

「教える」側と「教えられる」側の両者は絶対に対等である!

教師は、『「教える」側と「教えられる」側の両者は絶対に対等である!』ことを絶対に譲ってはいけません!

「1人も見捨てない!」、「全員達成」のためには、ここがブレると、『学び合い』は、絶対に成立しません。

「教える側」の子どもが「教えられる側」の子どもを見下すと、「みんながわかる」ための努力をしなくなります。

当たり前のことなのです、「教えられる側の能力の問題」、つまり「相手のせい」にしてしまえば良いのですから、「あの子はできなくても・・・」「あの子が分かろうとしないから…。」と、教師が子どもや保護者のせいにして合理化して、逃避するのと何ら変わりはありません。

その結果、「教える側」の子どもは、「何とかわかってもらうように・・」という考える行動をやめ、アウトプットの努力を怠るので、自分自身もそれ以上は伸びなくなってしまいます。

「教えられる側」の子どもが卑屈になってしまっても同じことです。「どうせわからないから」と、投げ出したり自分から聞くと言う行為もしなくなっていきます。

すると、『課題の全員達成』の理念も学級の子どもたちは目指さなくなり、こうなってしまうと、全員達成ができない事をもとにして、クラスの人間関係は、どんどんと崩れていってしまいます。

「教えて!」と言えている・・・

さっきの例とは、全く逆の事象ですが、ぜひとも見逃したくない姿です。

この「教えて」と言える子どもを見つけたら、教師が手放しで褒めるべきです。

それが、ただの1回あっても見逃さずに、認めて褒めることが『学び合い』においての教師の最大の役割です。

私は、子どもが「教えてあげる」と言えることより、「教えて」と言えることの方が、子どもが言えるようになるまでのハードルがずっと高いと考えています。

自分がわかっていないと言うことを認めるのには、勇気が要ります。

それを、周りの子に伝えて助けを求めるのには、もっと勇気がいるはずです。

当然です、自分ができていない、わかっていないと言う本来、人に見せたくない姿を人にさらさなければいけないのですから。

しかし、私は、「自分から人に助けを求めることができる力」は、大人になってからも特に必要になる力だと考えています。

特に、これからの難しい時代すべての人が自分1人であらゆることを乗り越えていくことなど、まずあり得ません。

社会で行く生きていくためには、他者と協力し合うことが必要不可欠になるのです。協力し合うとは、この両方ができている必要があります。

□ 「困っている?」と声をかけて、援助の手を差し伸べること。

□ 「助けて」と声をあげて、周りの人に援助を求めること。

答えをそのまま見せる子どもや、丸写しをする子どもがいる・・・

(出典 antenna.skima.jp)
  • 自分で考えて解かずに、他人の答えを丸写しして、それで終わらないか?
  • まず、自分で考えることもせずに、答えを人に聞いても良いのか?

『学び合い』の授業でなくても丸写しをする子どもはいます。

結論から言えば、丸写しをする子どもや答えをそのまま見せる子ども自身を注意しても、それが完全になくなるわけではありません。

丸写しをなくすためには、「人の答えを写しをしても意味がない。」と言うことを子どもたちの中に理解させていくことが必要です。

それには・・・

「結果」をきちんと求めることが必要です


(出典 www.bunka.go.jp)

授業の中で求める「結果」とは、その時間の課題が「わかる」ことであり、わかったことをもとにして「できる」ことです。

決して、ただ「終わる」ことでは、ないのです。

丸写しが気になるのであれば、まずは、そのことを子どもたちに伝えて、「どうやって解決すれば良いか。」を問いかけ、一緒に解決していくことを呼びかければ良いのです。

丸写しは、子どもたち自身が「そのことに全く意味がない」という意識を持つことでこそ解決ができます。

「見せるだけではわかったことにはならないね。」「写してもできたことには全くならないね。」…という言葉が、子どもたちの言葉として、聞こえるようになればこうした問題はゆっくりとでも解決に向かっています

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