こんにちは、COTECHIです。
『学び合い』をしていると、「教える」子供と「教えられる」子供がはっきりしてきますが、それでも良いのでしょうか?
うん、そうだね。それに、「教えられる」よりも「教える」と、はじめは子供たちもそういう思いをどこかに持っています。
今日は、そのことについて、考えてみましょう!
「教える」と「教えられる」の関係
「教えられる」よりも「教える」方が良い、とはじめは子供たちもそういう思いをどこかに持っています。
はじめは仕方ないのですが、それをそのままに放置しておくと、クラスの中にどんどん上下関係ができてしまいます。
そうなってくると、「教えられる」立場になりやすい子供は、肩身が狭く感じ始めたり、「わからない」という言葉が言い出しくなったりなど、『学び合い』で実現したい「一人も見捨てない」ということが実現しにくい集団になったりする懸念が出てきます。
だから、これはとっても大きな問題なのです。
「教えられる」ということの大きな価値を語る
だから、このことについて私は、必ず、しっかり語るようにしています。
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みなさんは、だれかに「教える」ってことは、自分のためになっているって知ってますよね。
そして、「教えてもらう」って、みんなのためになっているんですよ。
それはね・・・誰かに教えているとわかっていたつもりの事でも、本当はわかっていなかったことが、少しずつハッキリしてくるんです。
そして、もっとよくわかるようになるんです。
それからね、なかなか自分の説明をわかってくれない人に、あーでもない、こうでもないと説明を工夫すればするほど、もっともっとわかるようになるんですよ。
だから、教えることで1番得をするのは教えているその人自身なんですよ。
自分のためになっているんです‼
教えてもらうっていう事は、教えてくれる人をそうやってどんどん「もっとよくわかっている状態」にすることができます。
教えてもらっている人が「よくわからない」と言えば、相手はもっと色々と考えるようになります。
それが他のお友達のためにやっているんです。
さらに、「1人残らず、みんなが課題を達成するため」には、あなた自身がわからないといけません。
あなたも「みんな」の1人なんですから。
そして、「教えてもらう」は、「みんなのため」になっているんです
今日教えていた人、いっぱい得をしたんですよ。
今日たくさん教えてもらった人は、それだけみんなのためになったんですよ。
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双方にとっての“学び”となるには、どんな教え方が必要なのか
「わからない」と言った友達に答えを教えたり、やり方を説明したりすることは、学力の高い子供にとっては容易なことです。
しかし、それでは、教えた子供も教えられた子供も、そこには「学び」はないと言ってよいと思います。
そこで、教える側の子供にどうしてもやってほしいことは、「できない」友だちに単に答えを教えるのではなく、ヒントを与え、自分でできたという実感を味わわせてやることです。
学習者は自分で「やれた」「わかった」という達成感こそが何より学びへの意欲を高め、学力をつけていきます。
つまり、教える子供は「ヒント屋」であってほしいのです。
相手に合わせた適切なヒントを出す訓練をすることにより、単に「自分で問題が解ける、わかる」という学力とは違った角度からの力がついていくはずです。
私は、『学び合い』の最も基礎的な形態である「ペア学習」の核心はここにあると思っています。
もちろん小集団の場面でもこのような場面は少なからずあります。
教師は、このことを友達同士が「教え合う」ことの基本とし、指導を徹底していくならば、学級全体としての学力向上の大きな力となっていくことは間違いないでしょう。
『学び合い』を通しての学力づくりは、私の経験上、ぜひここを重視ほしい。
このことの定着により、学級は一気に『学び合い』は自分たちのためであり「自分たちの学級では当然のこと」というモードに進んでいくでしょう。
そして学級に自然と 「友だち同士は常に助け合い、励まし合う」という雰囲気ができていきます。
成績の振るわない子供にとっては、何より願っている学習風土となります。
「教える」、「教えられる」を超えた関係
理想の教育としては、上下関係を作るのではなくて、子供と子供相互が一緒に真理に向かって共に向かっていくことが必要なのだと思います。
生徒と一緒に答えを模索するような、あるいは、子供と子供同士が一緒に学んでいくような姿勢が欠如しているのは、大変にもったいないことです。
基本的に、人間はすべて、そして一生涯学習者なんですから。
私たちは、1人では成長できませんね。一緒に学び続けましょう!