こんにちは、COTECHIです。
福沢諭吉さんが書かれた「学問ノススメ」を読んでいて、初編は1872年の明治5年のことで、今から150年も昔に書かれたのに、『学び合い』の理念、学び方そのものに驚かされました!
それは、いいことを発見しましたねえ!
福沢諭吉さんの「学問ノススメ」のすごいところは、「学問は事をなすための技術なのだ」といって、一人一人が進んで主体的に学ぶことの重要さや人のために学ぶこと、人とよりよく生き合うために学び合うことを説いてますね。
『学問のすすめ』の冒頭は、後に続く部分を含めて簡単に言うと「人間は平等である……といわれているが、勉強しないから格差が生まれる」と、何とも、現代の学び方の課題とも思えることを、きちんと述べてますね。
■福沢諭吉の「半学半教」の精神
一万円札の肖像画となった福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』は次のように始まります。
・・・「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らず」と言えり。・・・
これは、とてもよく知られた 一節ですが、みなさんは、この続きを知っているでしょうか?
この後には、次の文章が続きます。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
わかりやすく記すと・・・===============
世の中には裕福な人も貧しい人もいる。
その違いはどこから生まれたのかというと 学問である。
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改めてこの本を読んでいて、福沢諭吉のいう「学問」とは、難しい言葉を覚えることでも、多くの本を読むことでも、複雑な数式を解くことでもないことを知りました。
諭吉のいう「学問」とは、「実生活に、人の役に立つ能力を身につけること」ということでした。
だから、どれだけ難しい本を読んでも、人の役に立たなければ意味がないし、数学を学んでも、家計が豊かになって、人のために使わなければ意味がない。
ただ知識をインプットするだけなら、それは学問ではない、人と人が学び合って、知識を身につけたら、それを活用して豊かになりなさい。ということを福沢諭吉は、書籍の中で伝えています。
そして、福沢諭吉は、次のように述べています。
「教育の本旨は、人の上に立て人を治るの道を学ぶに非ず、又人の下に立って人に治められるるの道を学ぶに非ず、正に社会のなかに居り窮から基身を保全して一個人の職分を勤め似て、社会の義務を尽くさんとするものなれば、 - 中略 - 社中素より学費に乏しければ、少しく読書に上達したる者は半学半教の法を似て今日に至るまで勉強したることなり。 此法は資本なき学塾に於て今後も尚存す可きものなり。」 (福沢諭吉『慶応義塾改革の議案』1876年)
「半学半教(はんがくはんきょう)」とは、教える側と学ぶ側が別々にあるのではなく、お互いに教え合い、 学び合い、そして啓発し合うことで深く学び、お互いを高めていくことです。
教える者と学ぶ者との師弟の分を定めず、先に学んだ者が、後で学ぼうとする者を教える。
教員と学生も半分は教えて、半分は学び続ける存在ということで、福沢諭吉は、この精神を指針に塾(現、慶応義塾大学)を設立したといわれます。
互いに学び合い、互いに教え合い、さらに、実践を助け合い、これからのそれぞれの人の人生が、黄金の日々となることを目指して行こうと記しています。
■「半学」について
人の学びは、それぞれが主体性をもって進められ、その道を究めて、実践していく『志』を高く持ち、社会に貢献されている人々の講話をよく傾聴して学ぶ。
そして、問題と思われる事項に対し、周りの人との質疑討議(話し合い)を行い、それぞれが互いに学びを深めることとしていて、まさに、それは、教室で進めている『学び合い』そのものであると思います。
よく知っている人から、「半分を学び」、あとの「半分は自分で学ぶ」という意味で、教えすぎないで、自分から学ぼうとする姿勢も大切にするということ、その「半学」により、自分で学ぶ喜びや自信をも与えたいということです。
■「半教」について
テーマを中心に討議し、意見を発表することにより、教え合い、よりレベルの高い学び、また、より実践的な学びとします。
「半教」の精神は、学びを与える人への成長を願って、全てを与えないことですから、「誰一人見捨てない」「みんなで成長する」という『学び合い』の理念とまさに合致しますね。
そして、大切なことは、”受け取るよりも、与える方が幸いである”ということです。
つまり、進んでアウトプットする方(与える方)が、より多くのものを吸収できる学びになるということです。
150年も前から、『学び合い』の大切さを説いていらっしゃることに感動しました。
今も昔も、人とつながりながら、生涯学び続けようとする強い学習意欲を持った主体的な学び、他者との『学び合い』の中で、学んだことを過去の経験と関係づけ、学ぶことの意味や価値を実感し、未来につながる自己のよりよい生き方を見いだしていく授業、時代を超えても変わらない人間の本質的な部分に気づかされました。