新学習指導要領が目指す「主体的・対話的で深い学び」を実現するうえで「探究学習」が重視されていますね。
なんだか難しそうです・・・。
そうだね・・・これまでの「教える」授業から、子ども自らが問いを立てて考え、行動する授業への転換を求められています。
学習指導要領で重視される「探究学習」が、日本でなかなか広がらないワケ
注目したいのが、学びの目的地が、「ウェルビーイング」であるということです。
「ウェルビーイング」とは、「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあること」を意味しますが、「自分自身そして社会のウェルビーイング」を実現するために、自ら行動できる意志を持った人を育成することが、世界の教育の目標になっているのです。
では、世界の国々の教育は、実際どうなっているのでしょうか?
ここでは、かつてOECD生徒の国際学習到達度調査(以下、PISA)で世界一となり、教育先進国として注目されたフィンランドの現状を紹介します。
ここでは、かつてOECD生徒の国際学習到達度調査(以下、PISA)で世界一となり、教育先進国として注目されたフィンランドの現状を紹介します。
PISAの世界ランキングの結果は、日本の教育政策にも大きな影響を与えていますが、フィンランドは近年ランキングを下げていることから、学力が落ちたと評する人もいます。しかし、18年度調査でも、平均を上回る順位を保持していますし、とくに読解力に関しては、日本とは反対に高いスコアを出しています。
そんなフィンランドの今の教育の目的は、「何を学ぶかではなく、学び方を学ぶ」こと。なぜなら、学習の方法とプロセスを知っていれば、いつでも自ら学ぶことができるから。そして、近年、教師は教える人ではなく、ファシリテーターとしての役割だという考え方が定着しているといいます。
フィンランドでは、日本の学習指導要領に当たる教育目標が、3〜4年に一度アップデートされますが、その理由は社会変化のスピードに合わせる必要があるから(日本ももう少しフレキシブルに変化に対応していったほうがいいのではないでしょうか)。
その結果、今のゴールは、PISAの学力を上げることではなく、「地球市民への道」だといいます。そして、多文化を背景に持つ仲間と一緒に、多言語や異文化について学びながら、心の知能指数(EQ)を上げることが、今日のフィンランド教育における大事な項目の1つになっているのです。
どうでしょう? 正直、私は、日本とは教育の目的の捉え方が違うと感じました。
では、日本の先生たちは、今回の教育改革や探究的な学びについてどう受け止めているのでしょう。
「探究的な学びが実践できている学校とできていない学校が二極化している」「小学校では20年前から総合学習をしているから、それが探究だが、やることが多すぎてカットカットの日々。コロナ禍で外にも出かけられない」という悲痛な声。
それでも、ICTを活用して学び合いをしたり、地方の学校や海外の人とつないで授業を行うなど、今だからできることで探究的な学びを進めている公立小学校もあります。
教育現場で探究が広がりにくい理由をある公立中学校の先生は、「探究的な学びを教員が受けてきていないので、実感が湧かないし、学習指導要領が目指す方向性を市教育委員会や校長先生が本質を理解していないので、具現化できない」と言います。
一方で、探究的学びができている学校の子どもたちは、主体性があり、自律している。主体性を持って学べているから、全国学力調査の結果も全国平均を超えているのだとか。
ある母親は、「学校が変わるには時間がかかることもわかる。でも理想論かもしれないけれど、一人ひとりの子どもたちの自主性を尊重するそんな教育が広がってほしいと思うし、まず私自身がそうありたい」と話してくれました。そうなのです。大きなシステムを変えるのは難しいけれど、探究は家庭で十分できます。
小学校に入学し、子どもが成人として社会に出ていくことになるのが十数年後。
子どもたちは、現時点で開発されていない技術を使い、今は存在していない仕事に就き、多様な価値観を持つ海外の人と交わって生きていくことになります。
その子どもたちが、自分で幸せな未来を切り開いていけるように、できない理由を並べるのではなく、できることから始める。そして、いい事例やグッドニュースがどんどん広がっていってほしいと心から思います。その役割を私も果たしていきたいと考えています。
与え続ける教育では、考える力は育たない
冒頭で、探究学習は教えない教育だと書きましたが、それは教師のあり方を問い直すことになります。
日本の学校が行っているのは、与え続ける教育。
手をかければかけるほど児童は、自律できなくなるので、「自律型教育」へのシフトを目指してチャレンジをしていかなければなりません。
まず行っうことは、教育の最上位目標を全教員で一致させることです。
対話を繰り返し、「自律・対話・創造・夢」という目標を導き出し、「そこに1ミリでも近づく提案であればGOを出す」と宣言することで、教師自身が考えて行動するようになり、授業も変わっていくでしょう。
先にも触れましたが、フィンランドでは、教師は教える人ではなく、ファシリテーターとしての役割だという考え方が定着しています。先生は答えを知っていて教えることはできるのだけれど、あえて児童自身が考えるように導く。それが探究教育を進めるときの先生の役割です。
これって、時間がかかるし、通常の授業で行うのは現実的でないという声も聞きます。しかし、正解のない時代を生きていく子どもたちには、やはり自ら問いを立てて、考える力を育てることは必要だし、学ぶ意味がわかれば言われなくても学び出すから、回り道のようで逆に近道ではないでしょうか?
子どもの探究力を育てるために、大人が知っておきたいこと
日本の教育改革は一筋縄では進まないけれど、一歩踏み出せば確実に変わっていくということです。そしてそのときに大切なのが、教師が何のための教育改革なのかという最上位目的をしっかりと考え、組織として共通認識を持つことです。
これは親も同じです。なぜ探究なのか。なぜ自分で考えて行動する力を育てる必要があるのかを理解し、教えない教育・子ども主体の学びへのシフトを応援すること。それが、学校を変えていく大きな後押しになるでしょう。
さらに言えば、家庭で子どもに「なぜだと思う?」「どうしたらいいと思う?」と問いかけることが、子どもたちの考える力を育てることになります。
しかし、それには前提があります。
探究の過程は、うまくいかないことの繰り返しです。でも、それを失敗と決めつけてダメ出ししたら、そこで思考は止まってしまいます。また、明らかに難しい課題にいきなり挑戦しても、子どもたちは挑戦する気をなくしてしまいます。ですから、ちょっと難しいけれどやってみようと思えるくらいの問いを用意するというのもコツです。これをストレッチゾーンと言います。
探究は、子どもたちは力を持っていると信じることから始まるといってもいいでしょう。
生きる力を、幸せに生きる力と定義し、 そのためにしていることは、 「あなたはあなたのままですばらしい」と言い続けることだと言います。そして、親にも「お子さんはそのままですばらしい」と伝え続け、子どもや家庭と共に教育をつくることを心がけていきたいものです。
このように、さまざまな場で子ども主体の教育にチャレンジしている先生をめざしていきたいです。