子供と共に育つ人でいるために・・

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TEACHERS-TEAMWORK
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自分で考え、自分で決める

COTECHI
COTECHI

こんにちは、COTECHI です。

学校の先生は、大変忙しいですね。

HARU
HARU

朝から晩まで、まったく休むひまなどありはしない。

やらなくてはいけないことをやるだけで精いっぱい、やりたいことなどとてもやっている時間がない、というのが実情です。

あまりの忙しさは、教師の心を壊してしまいます。学級担任は、よほど工夫をしてゆとりと充実を共に実現していかなければいけませんね。

 

HARO
HARO

毎日の授業だけでへとへとになり、実践のあり様を吟味したり、もっと高い質の実践はできないものかというような工夫を加えたりすることを忘れると、年数を重ねても教育の質が高まっていかないです。

教育者としての本質的なすばらしい楽しみ、喜びを味わうことができるようにしていきたいと思うなあ。

P-MASTER
P-MASTER

日々の授業だけに埋没してしまわずに、自らの授業実践そのものを、絶えず吟味し、批判し、すぐれた実践者の足跡を求め、本も読み、思索もし、半歩でも、一歩でも、前へ進み続ける教師を目指す日々は、楽しく、おもしろく、明るく、充実感に満ちていると思うけどなあ。

時間がないとか、忙しいとか、自分に暗示をかけちゃってるんじゃないかなあ。

COTECHI
COTECHI

じゃあ、どうしたらよい働き方ができるようになるんですか?

P-MASTER
P-MASTER

それはねえ・・・「自分で決める」という意志ある働き方をするように心がけて、毎日生活することに、答えはあるんだと思うよ。少し考えてみよう・・・

よりよい働き方を創る

Pexelsfauxelsによる写真

そういう教師を目指すなら、何とかして時間を生み出さなければなりません。

仕事に追われてばかりいたのでは、自分を見つめるゆとりすら生まれてはこまいからだと思うからです。

時間を生み出すためには、改めて、自分の仕事の仕方、内容、実践を、ひとつひとつ見直してみることです。

その使い方が問題なのだ・・・とにもかくにも、「時間を生み出す」「無駄を省く」という心構えを持つことが大切だと思います。

こういう心構えで、自らの日常を点検していけば、思いがけない無駄を発見できるに違いないと思います。

時間を大切にするから、能率が上がるし、労力を大切にするから、機械化が進むからです。

何とかして、もっとうまく、もっと効果的に、もっと確かに、もっと省力化してできないものかと考えていきたいものです。

どんな小さなことでも、軽んずることなく検討してみましょう。

そこからが向上、進歩のスタートなのだと思います。

勤務時間を意識したよりよい働き方を創りましょう。

子供に見られている教師という大人の姿

PexelsMax Fischerによる写真

学級は、集団生活や社会生活の基本を学びとらせる所です。

権利よりも義務、平等よりも秩序、主張よりも反省、自由よりも思いやり、要求よりも施し、というような教育をすることによって、本当に幸せな社会生活が実現することを学び取ってほしいのです。

学級担任は、一人ひとりの子供によく目を注ぎ、その子、その子、ひとりひとりの子供が抱かえている長所、短所をよく見極め、行き届いた指導を加えなければならないと言われます。

努めて、一人ひとりの子供の言動に、本当に細かいを気配り、目配りをしているつもりですが、それはすべての教師が身につけなければならない「最も大事な資質」であるといえるでしょう。

しかし、教師というものは、実は「見る存在」であることよりも、子供たちから「見られている存在だ」と、私には思われます。

教師は、子供たちや親に本当に多くの姿を「見られている」のです。

実は、より多く、より強く、より熱い眼差しで、子供や親から「見つめられている」、最も身近な手本の存在なのだと思います。

だから礼節を大切にしています。

「学級づくり」は、つきつめれば教師自身の「自分づくり」

「見られている」という教師の自覚は、大変重要です。

子供への影響というものは、教師が子供たちを「見ている」ことによって生み出されることよりも、案外、「 見られている」ことによって生まれることの方が大きいのかもしれないと、私は、思っています。

その意味で、「学級づくり」は、それは、つまりは、教師自身の「自分づくり」に他ならない、とも言えるのではないでしょうか。

授業は、確かに学級づくりに支えられます。

そして、その学級づくりは、帰するところ、その教師の人格、識見、人生観、そして、生き方に支えられるのだと思います。

教師は、自らを人間的により深め、より高めることなしに、学級づくりは、深まりも、高まりもしないでしょう。

「学級づくり」は、すなわち自己修業の結果として生み出されたものでもあると思います。

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