こんにちは、COTECHI です。
学校の「働き方改革」って言われて久しいですが、なかなか早く帰ったり、業務の精選が進みませんね。どうなってるのでしょうねえ?
もちろん、文科省や教育委員会、そして、なによりも学校の管理職のリーダーシップは、大きいです!しかし、一番大切なことは、働く教職員1人1人が、自分のできる範囲内で心掛けていくことが、最も重要な「変われる働き方」の当事者意識を育てることになるんだよ。
そうそう、ちょっと逸話的な話だけどね、『ハチドリのひとしずく』のお話が象徴的に心に残るから、少し読んでみて!
ハチドリのひとしずく
「ハチドリのひとしずく~いま、私にできること~」という話を知っていますか?
南米のアンデス地方に伝わる話を明治学院大学国際学部教授の辻信一さんが訳した短い話です。
それはこんな話です。
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
出典:「ハチドリのひとしずく」 辻 信一監修 光文社刊 2005年
クリキンディが教えてくれていること
この短い物語には、大きなメッセージが込められています。
クリキンディは、ハチドリという小さな体ながら大きな勇気をもっているように感じられます。
そして他の動物たちは、臆病者で、自分さえよければいい、といった卑怯者のように感じられます。
でも、動物たちが火事を消そうともせずに逃げ出してしまった本当の理由は、・・・・何だったのでしょうか・・・?
大きな体で力持ちのクマは、幼い子グマを守るために避難したのかもしれません。
足の速いジャガーは、後ろ足を使って火に砂をかけることに気づかなかっただけかもしれません。
雨を呼ぶことの出来る雨ふり鳥は、自分たちの降らせる雨が火を消すことができる事を知らなかったのかもしれません。
クリキンディは伝えてくれているのです。
他の人を非難したり、怒りや不満な気持ちや不満の蓄積等や惜しみや妬みに身を任せる暇があったら、自分の出来ること、自分にも出来ることを淡々とやっていこうよと。
クリキンディは伝えてくれているのです。
私たちはあまりに大きな問題や困難や力に取り巻かれてしまう時、それを考えるだけで、気が遠くなってしまったり、あきらめや無力感に心を支配されてしまいますが、どんな困難な中にいても、私たち一人一人には「出来ること」が必ずあるんだよと・・・。
クリキンディは教えてくれているのでしょう。
あの燃えていた森はこの世の中を覆っている闇の事かもしれないと。
戦争、飢餓、貧困、差別、感染症ウイルス、そして環境破壊・・・・・この世の中は、大変な問題でいっぱいです。
でも、もっと大きな問題は、ひとりひとりがこれらの事に対して、「自分に問題を解決する力なんて無い」とか「そんな事をして何になるんだろう」と、大切な事や行いに目をつぶってしまうことです。
見て見ぬふりをしてしまうことです。
私たちひとりひとりは、ちいさなハチドリの力に過ぎないかもしれませんが、この無力感やあきらめを吹き払い、しっかりと目を開いて問題と向き合い、「わたしにできること」について考え、行動し、それらを積み重ねてゆくことができるとしたら、燃えている森の「火」を消す力にだってなれるかもしれません。
子供たちにとってのいじめ等の学校の課題、先生たちにとっての勤務時間縮減に向けた働き方改革等々・・・さらには、環境、貧困、人権、差別といった様々な地球規模の課題について、私一人が行っても変わらないから、と皆が取り組むことをあきらめ、見て見ぬふりをすることは、どんな未来を生むのでしょうか?
本当に人として、正しい行いでしょうか?
さて、物語の中のあの森は、その後 どうなったのでしょう?
子供たちのいじめ問題や私たちの働き方改革の行方は、その後、どうなっていくのでしょう?
燃え尽きて なくなってしまったのでしょうか?
それとも・・・・・
未来のヒントは、外の社会とのコミュニケーションの中にある
社会の変化は激しく、今までどおりが通用しなくなってきました。
子供たちが活躍する社会は、きっと私たちが働いている社会と全く違ったものでしょう。
子供たちが幸せに生きていけるようにするためには、目の前の仕事だけに捕らわれず、まず、私たち教職貝がこれからの社会に合った教育を考えていく必要があります。
そのヒントは、学校と家庭との往復の中にあるのではなく、外の社会とのコミュニケーションの中にあると思います。
子供たちが将来、社会に出たときに困らないようにするためには、今、私たち自身が社会にとの関わりを学ぶ時間が必要なのです。
同じ景色を見ているのではなく、違う景色を見ることで、アイデアも湧いてきます。
働き方改革の第一歩は「自分で決めること」
私は、働き方の第一歩、そのキーワ―ドを「自分で決める」ことだと常に言い聞かせています。
様々な仕事を忙しく取り組んできて、働き方改革の決め手は、「結局、自分で決めること」と、自分の中で強く実感しているからです。
「帰れない」のは、組織の問題だが、「帰らない」のは自分の問題です。
学校の日常を見ていると、「帰らない」選択をしている場面があるような気がしてなりません。
これまで学校での「働き方改革」を進める中で、教職員からこんな声が聴かれました。
「目的をハッキリさせて時間を有効に使うことで、今までより有意義に過ごせるようになった。」
「やらないこと、減らすこと、まとめることを考えたらけっこうあった。」
「決められた時間の中で仕事をしようとするからこそ、工夫も生まれるし、集中して仕事もできる。」
「帰ると決めたら、それに合わせて仕事をすればいいと割り切れた。」
これらの意見には、「自分で選択する」、「自分で決める」ということが関係しているのです。
ひとりひとりの「ひとしずく」が新しい未来を創る
業務改善、多忙、多忙感解消、働き方改革と取り組む中で、何がキーワードになるのか考えてきましたが、はっきりしてきたことは、やはり「自分で決める」ということだと思います。
自分で決めることができ、それを認める風土がつくられていくと、「自分で決めることができた。自分で変えることができた。」と「達成感・自己効力感」につながり、それが仕事への意欲にもつながります。
穏やかでリラックスした気持ちにもなれます。
この好循環がつくれると、やらなければならないことだけでなく、自分のやりたいことや好きなこともどんどんできるようになります。
私たちが本来持っている力を引き出し、ワクワクして仕事ができようになるのです。
働き方を本気で変えるのなら、まず毎日の出勤時刻と退勤時刻を自分で決めてしまった方がよいでしょう。
自分にとって大切な人生の時間を、「職場の空気感」の犠牲にしてはもったいないのです。
もちろん仕事の上で、相手意識は、十分配慮しなければいけません。
ひとりひとりの「ひとしずく」が新しい働き方、新しい教育、新しい未来を創るのです。
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