単元「貴族のくらし」の概念的知識
京都に都が置かれたころ、貴族のくらしの中から、日本風の文化が生まれた。
貴族の生活や文化などについて、日本風の文化が生まれたことを理解している。
貴族と藤原道長 01
家庭学習で身に付けたい社会的事象(具体的知識).01
平安時代、藤原道長は、娘を天皇の妃にすることで天皇とのつながりを強め、政治を動かすほどの権力をもった。
貴族たちは、寝殿造の大きな屋敷でくらした。
家庭学習「キョウコレ」- 貴族と藤原道長 -
貴族のくらしの中から生まれた文化 02
家庭学習で身に付けたい社会的事象(具体的知識).02
貴族たちのくらしの中から、大和絵や十二単などの服装が生み出されたり、かな文字がつくられて、物語、随筆など多くの文学作品が書かれたりするなど、華やかな日本風の文化が生まれた。
家庭学習「キョウコレ」- 貴族のくらしの中から生まれた文化 -
今に伝わる年中行事 03
家庭学習で身に付けたい社会的事象(具体的知識).03
平安時代の貴族の年中行事の中には、現在も続いているものがある。
家庭学習「キョウコレ」- 今に伝わる年中行事 -
まとめ
摂関政治の頂点を極めた藤原道長の「自信」と「満足」、そして、「おごり」を感じさせる和歌がとっても有名ですね。
「この世は自分(道長自身)のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものはなにもない」という意味ですよね。
自信満々で、満足しきっている感じがたっぷり表れていますが、どうして、このような詩を詠んだのでしょうか?
藤原道長は、自分の三女の威子の前に、彰子(しょうし)を一条天皇の后にしましたし、そして妍子(けんし)を三条天皇の后にさせることができたのですよ。
だから実に、藤原道長一家で、三人の娘を天皇の后にすることに成功したというわけですね。
それはつまり、貴族としての藤原氏、そして、藤原氏という貴族の中でも、道長の家系だけが、天皇家との関係が、とっても深くつながり始め、藤原道長自身の権力がますます強大になったことを示すことになっていったんですよ。
だからこそ、道長はもう「欠けたものは何もない」と言ったのです。
へー、それほど自信にあふれるほど、天皇の力を自分の権力と結びつけられたということなのですね。はるほど!
さて、次回のキョウコレは・・・
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