「一人も見捨てないこと」「みんながわかる」文化をゴール(目的)とする授業

FUTURE

少人数学級になっても学習効果は変わらない

COTECHI
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こんにちは、COTECHI です。

最近、文部科学省は、少人数学級の拡張をやっと始めましたね。コロナ渦で密の教室が少し緩和されるのは良いことですが・・・

教育効果的にはどうですか?

P-MASTER
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一般には、学習集団は限りなく少人数に近い方が学習成果が上がるという考えが支配的で、現在はその方向に進みつつあります。

そうした考え方ならば、究極的には、教師と子供の1対1ということになり、また学級の人数の少ない小さな学校ほど学習効果が上がるはずですねえ。

P-MASTER
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しかし、実際には必ずしもそうでないことは、多くの事例が証明していますね。

小規模の学校では、学力が高いか・・・というと、そうではないことは、昔から明確になっています。

さらにこのことに関して、OECDの担当者の言葉として、「少人数学級にすれば必ず学力が向上するとは言えない、質の高い教員を確保することも大事だ」とあり、「教員」をそのまま「授業」と読み替えることもできるのですよ。

集団で学習することのメリットを最大限生かす

私たちがやらなければならないことは、現状の教師陣と学級集団の人数で、どのような方法で一人一人の子供に学力をつけるか、を考えるということになりますね。

そうなれば、実質的、現実的な方法としては、既に教室には、子供が学習集団を形成しているので、その学習集団で学習していることのメリットを十分に生かすような学習活動を工夫、展開することに行き着きます。

そうなると、子供たちを競争させて学習をすればよいという、安易な発想も出てきそうですが、これは、即効性があるかもしれませんが、そのことによるデメリット、特に、学習到達状況が中位程度以下の子供たちの学習意欲を削ぎ、成績によって、子供を序列化してしまう危険性を大いにはらんでいます。

また、それを続けていれば、新しいことを学習する、新しい考え方を獲得するための学びに対する喜びよりも、友だちとの競争に勝つことを目的にしてしまうなどの問題が必ず発生し、学級崩壊の要因にもなりかねないことになってしまいます。

「協同学習」の中での『学び合い』を組織する

そういう形ではなく、このような副作用を発生させることなく、集団で仲間と学習することのメリットを、最大限に生かすためには、「協同学習」、そして、その中で仕組んでいく『学び合い』を、ていねいに組織するということに、必然的に帰結していくのではないでしょうか。

例えば、基礎的な『学び合い』を例にしてみれば、ペアで、それぞれの考えを交換することが考えられますが、それだけでもお互いに、様々な刺激を得て、いろいろなアイディアや考えが出てきたりします。

自分が気が付かなかった、新しい発見や、自分と異なる思考、考え方を知ったりするとてもよい機会となるのです。

そして、友だちから尋ねられた、聞かれたことに対しては、自分の考えを相手にわかるように表現を工夫し、根拠やそれを裏付ける具体的な事実を示そうとアウトプットします。

このようなアウトプット活動が、子供の思考を鍛えることに、大きく寄与していくのです。

また、4人程度の小さな集団での話し合い活動では、友だちの考えや意見をよく聞いて、納得できたものは自分の考えに取り入れたりすることも大事なことです。

そして、特に、意味があると思われることは、仲間が共通の体験をした後、他者の話を聞くことで、同じ体験をしても、違った感想をもったり、違った学びを得たりすることがわかることで、なるほどそういう考え方や見方もあるのかと気づくことです。

もちろん自分とは違った体験をした他の友だちから、そこで感じたことを伝えてもらうことでも、お互いの学び合いが成立し、今まで自分になかった世界や考え方など、視野が広がっていくことになります。

『学び合い』の教室では、全員がゴールできることを目指す

 ところで、基本原則として、グループ学習=『学び合い』ではないという点に、十分に注意する必要があると思います。

協同的な学習は、協同を原理としたものであればすべて、協同学習であり、小集団でなくともよいのです。

学級の全員であっても、よいのですが、違いは、「ゴールにある」と思います。

競争のある人間関係を持つ教室では、ゴールに序列を付けようとします。

これに対して、『学び合い』のある教室では、「全員がゴールできること」を目指すということが大きな違いです。

「一人も見捨てない」こと、「みんなで勝つ」ことです。

クラスの仲間全員が、クラスの仲間のいろいろな力を借りて、みんなで精一杯伸びるということを大切にする文化です。

さらに、構成的エンカウンターでは、『仲の良いグループ』をつくり出して、そこで学習をしようとしますが、『仲良しという関係』は、それを維持するために、学習者に大変な緊張と気遣いを強いてしまうことに注意することが必要です。

だから、私は、「仲良し集団」では、いけないと思っています。

『仲良し集団』ではなく『課題解決集団』を育てる

『学び合い』では、よく多くの学級が目指しがちになる『仲良し集団』ではなく、本来の学習の目的に向かう『課題解決集団』を育てることが大切だと思っています。

『みんなで高め合い、みんなが認め合い、互いに励まし合い、助け合う集団』ですので、それこそが、『学び合い』の集団としての、「課題解決集団」だといえるのです。

こうした学級集団を「仲良し集団」というのであれば、それは素晴らしい考え方だと思います。

そんな課題解決集団をつくるには、基本的に大切なことがあります。

まず、人の考えは、自分の考えを否定する他者がいて、それを克服することで、さらに深化していくという原理(アウトプット→フィードバック→アンラーニング→クリエーション)から考えれば、思考にとって、他者との緊張感のある『学び合い』は、むしろなくてはならないものであって、それが、自然にできるような学習集団づくりを志向していかなければならないということを思っています。

くりかえしますが、単なる「仲良し集団」では、絶対に、個は伸びていかないと思います。

全ての子供たちに、『正しく、適切な自己否定できる力』をつけさせてやらなければならないのだと考えています。

それは、自らが自らを否定することもあるし、集団からの否定の場合もあります。

それができるには、学習集団が人間関係のよい支持的風土をもっていることが必要である。

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